2008年12月30日

金や人脈の前にやりたいことを

何件かの相談を受けていると共通するのは「とにかくなりたい」「とにかく知りあいたい」。この「とにかく」が曲者(くせもの)。気持ちそのものは自然だし、行動を起こすのも悪いことではない。でも、具体的な部分がなければ妄想なのだ。その感情そのものを楽しんでいる人はそのままでいいけど、妄想で苦しむなんて本末転倒。苦しんでいる人は具体的に考えよう。

「とにかく」を使うと後ろの言葉もなんでもよくなってしまう。「とにかく金持ちになりたい」「とにかく彼女がほしい」「とにかく人に見られたい」エトセトラ。入り口には適しているけど、そこから掘り下げないと。そのために5W1Hは基本。

たとえば声優に近づくとしても自分自身が声優になるのか、何らかの作り手となって声優とコミュニケーションをはかりたいのか、それをはっきりするだけでも次のステップは変わってくるし、することもわかる。

なにごとも行動の積み重ねだから具体的に考えよう。「自分は絶対に声優になれない」と言う人も「なぜなれないのか」を細かく考える。滑舌が悪いからか、声に抑揚がないからか、発音が悪いからか、言葉に対する基本知識がないからか、など。すると項目ごとにまた小さくなる。言葉ごとをはっきりいう練習をすればいいのか、腹筋そのものが足りないのか、早口言葉ができないのか、言葉がわからなくて口がついてこないのかなど。繰り返していると落ち込むよりも答えを探すこと集中する。

人が落ち込むのは解決法がわからないからで、手がかりがみえているときは落ち込まない。答えてくれる人がいなくなるか、疲れ果てるまでやめない子供の「どうして?遊び」に似ている。子供の遊びはつきあう人がいなくなればそれまでだけど、やりたいことに対する謎かけは、ありがたいことに自分がやめない限りは続く。

突き詰めると遊べる人は伸びやすい。金や人脈がなくても遊べるし、逆をいえば遊んでいればそういうものはついてくる。
ラベル:夢の育て方
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2008年08月21日

変なことを書きます。

競争をすれば必ず順位が付きます。順位が正確な数字で出る出ないや、見える見えないや、気にする気にしないという差はあれど、順位そのものは絶対に出ます。そして順位がある以上は、どうしたって立ち位置ってのもあります。ただ、その順位ってのは仕事をする上では大切かもしれないけれど、生きてく上ではそんなに大切ではないってことを心のどこかに転がしておいてくれると嬉しいです。

「人事を尽くして天命を待つ」

実行できればそれだけで大物っていうくらいに難しい言葉ですが、たぶん、今の世の中、特に声優とかには必要な言葉だと思うんです。もちろん、素人の勘なので、根拠はありませんが。

もうひとつ。「天部の才と商人の才は違う」っていう造語も知っておくと、たぶん、お仕事がやりやすくなったり対人関係で悩まなくてすむかもしれません。

ややこしいことを言っていますね。要は「あなたは何のためにこのお仕事を選んだのですか」ってだけです。

案外、それがいちばん難しい質問なんですけどね。世間や周囲に「学生が終わったら働け働け」って言われて、目の前に無数の選択肢だけを広げられて、その時点ではっきりと答えられるほうがすごいわけですから。しかもそれが、何十万人・何百万人と同じ職種がいるわけでもない声優ならなおさら。ただ、お仕事を何年もやっているなら、付け焼き刃のひとつでもいいので、少なくとも自分自身がある程度は納得できる答えのひとつは持っていてもいいかなと。無いと辛いですよね。

禅問答ですが「自分の役目は何かな」と毎日考えていた仙人が、「私の役目は『自分の役目は何かな』と考えることだ」と同じです。答えが出ない人は自分が何時間、収録のマイクの前に立っていたかを数えて「マイクの前に立つのが好きなのか」でもいいのかもしれません。というのは冗談ですが、つまり、立派な答えでなくてもいいってことです。他人が聞いたら冗談だと思うようなことでいいんだと思いますよ。

どんな仕事でも突き詰めてしまえば、全ての人は「続けていたから」でやってるんですから。「これしかなかった」という人ですら、少なくとも他の行動よりはその仕事に繋がる行動を続けていたからできているわけで。ま、そこに「好きだから」が付くのがいちばんなんですけどね。

ちなみに「好き」の反対は「無関心」で、「好き」と「嫌い」は隣り合わせってことを考えると、もしかすると「ただ続けていたから」ってのがベストなのかもしれませんがね。そこまで職人になる必要もないですよ。ってか、そこまで突き抜けている人はたぶん、ここを見ません。ってなわけでこの記事では「好きだから続けている」を答えにしておきましょう。

今日は新人のブログをたくさん眺めていたので、そうしたらふと、この記事を書こうと思ったわけです。

「なんでこの仕事を選んだの?」とかその類の質問のイジワルなところはね、、、答えが出たら、それはもう答えじゃないってところです。最初から答えの無い問題ですから。だからこそ人は自分にではなく、他人にこの質問を投げかけるわけです。自分に投げかけて、考え続けられたら、それはもう偉人の手記にあるとおり、努力が続けば偉人になれてしまいますからね。
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2008年08月06日

夢の期限は

あります。悲しいほどはっきりと。基礎も無いなら、高卒なら22歳。大卒なら25歳。3年4年で自分の本流を確立できなければ、他の道を探したほうがいい。もちろん例外はたくさんあります。ただし、例外になれるような人なら私の言葉など鼻で笑うでしょう。そういうものです。人の言うことを聞く人ならば素直に22歳から25歳で道筋を打ち立てましょう。もちろん、本流を、です。

芽が出る出ないは運です。本流さえ確立できているなら、後は自分の財布と気持ちが許すまで、めげずに粘ればいいだけです。それもあえて数字を出すなら34歳。政府も経団連もマスコミは地味に28歳から32歳を示しますが、私は34歳。芸の道に生きている人間なら、何となくわかると思います。翌年が35歳で区切りがいいこともあります。見切りを付けても社会復帰のため35歳まで約一年の準備期間ができるのも理由です。しかし、何より、演劇にしても芸能にしても、不思議なもので、天才でも秀才でも無ければ、不思議とこの年齢で体力が続かなくなります。しかも、周りよりも本人がいちばん気づきます。その後は、よほど自分の人生に責任を持てる人でなければ、ずるずる続けても見苦しくなるだけです。この業界は周りが「止めたら」とは絶対に言いません。サラリーマンならどうしようもなければ会社が解雇してくれますが、いたければいられるのがこのジャンルです。声優は事務所に所属し、どちらかというとサラリーマンに近く「駄目なら駄目」と言うところもあると聞きました。そこは優しい業界です。本人が言わなければ「預かり」で籍は置いてくれる場合もあるとも。それも優しさです。事実上の解雇通告ですが「預かり」でも社会的な立場はあり、少なくとも「無職」よりは「これから」を考えるには有利です。

以前より矛盾しています。というのも、言っても聞かない人は聞かないので、制限は範囲を狭めたほうがいいと言われたからです。ただ、これでもかなり緩いと思います。見る人が見たら「30歳を回ってから転職の準備は既に無理でしょう」と言う人もいるでしょう。けれども、やりたいことがあるのならば「失敗したとき」よりも「どうすれば可能性が見つかるか」を考えるべきです。だからこそ客観的に「もう駄目だよ」と言ってくれるものも用意しておくべきです。そのわかりやすいものが年齢です。

ちなみに、この手の制限に対する精神的なメリット・デメリットとしては、年齢を決めてしまえば、信頼できる人やものに任せて、逆にそのことは忘れて打ち込むことです。これができる人とできない人では、時間が経てば経つほど、差が開きます。片方は純粋に能力が付く自信と余裕を積み立てて、片方は年齢が近づくことに対する焦りから、自分の能力にすら気づけなくなるからです。昔はカレンダーを用意することでしたが、曜日の都合などで結局、信頼できる人に頼むしか方法がありませんでした。今は、パソコンを使う人ならばスケジュールソフトを利用するといいです。さすがデジタルだけあって、数十年先まで予定を書けますから。そうすれば、ぶっちゃけパソコンのデータのバックアップなどを忘れたりしなければ、期限が来たときにだけ知らせてくれる魔法の箱のできあがりです。

ま、言い切りながら何ですが、夢の期限というのは結果論に過ぎません。要は18歳から初めて20歳で「ああ、私は駄目だな」で他の道を選んで幸せな家庭を築いている知り合いもいれば、30歳を超えてから舞台に立ち、何とかやっている知り合いもいます。知り合いにはいませんが芸能に視野を広げれば、それこそ40代くらいから脚光を浴びる人もいますよね。だからと「諦めなければ何歳でも夢は追える」というのは幻想です。高齢で注目を浴びる人は、もともと人を抜きん出たものを持ち、とことん運が無かっただけのことです。その確率を考えれば年齢を重ねた人が「私もそのタイプかもしれない」とすがるにはあまりにも低すぎます。

私は否定しているわけではありません。むしろ、そんな制限を無視してでも頑張るような人が増えたらなと思う側です。今は堅実というか、冷静というか、いい意味のほうが大きいですが、それでも良くも悪くも冷めている人が多いです。自分の人生なのに、まるで「世界の歯車がそう決めているのだから仕方がない」と無目的だったりする人もちらほらと見ます。もったいない。ええ、ぶっちゃけ私の僻みです。自分には能力が無いから他人をけしかけているわけですね。それでも、実際に冷めた人が多い状況なら、私みたいな「私怨か支援かは微妙ですが、こんな風に言う人がいてもいいのでは」と思ったので書きました。

後輩が20前半でグループを立ち上げて、5年6年が経つ今も舞台を続けています。そういうのを見るだけでも「まだまだ捨てたものじゃないな」と。演劇と声優を同列に並べるのは筋が全然違います。が、両方とも知っているからか、または勝手に勘違いしているだけなのか、私にはどうも両者が畑違いには思えないんですよねえ。見た目やシステムは全然違うのですけれども、魂っていうか根性の部分がそっくりな気がするんですよねえ。絵や音楽や芸能人とは全然違いますね、はい。たまに芸能人や俳優が舞台をすると「舞台は芸能の延長だから当たり前なんじゃあ」と言う人が多いですけれども、地味に垣根はでかいですよ。どちらがいい悪いではなく、根本的に本質が違うので。芸能人や俳優で舞台に出ている人は、二つの職業をやっているに近いです。その意味ではそれだけで尊敬ですね。もちろん、ひとつだけでも尊敬です。「偉い」と「すごい」は別です。そう考えると世の中にはすごい人がたくさんいるわけで、人生もさらに楽しくなってきませんか?
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2008年08月03日

表現の仕方

「結婚」というお題があったので、続けてみます。「ひとつの印象は、たくさんの主張よりも目立つ」という言葉があります。本来はアイドルに向けての言葉です。要はレッテルです。「あの子は清純派」となれば、幾つも男性の話題があがったとしても全体的には「清純派だからこそ周りがはやし立てている」と意外に取り上げられなかったり。その逆は怖すぎですね。「あの子は天然」となれば、はきはきとした発言は台本のおかげになり、ミスは天然ならではになります。

ぶっちゃければ「人は信じたいものを信じる」というもので、ファンはそれが顕著です。はっきりとした事実よりも、アイドル本人の言葉のほうがファンにとっての真実なのです。だからこそ、アイドルがファンを貶める発言だけは、どれだけアイドルという偶像が壊れてきた現代でも見つけることはできません。ファン同士の会話の中で「あのアイドルはファンを馬鹿にする発言をした」ということはあっても、アイドルそのものが「ファンは馬鹿」という発言は無いのです。また、その発言は同時に、そのアイドルが業界から退くことも意味します。さすがに今のような世の中ではアイドルではなくても、それに近い位置の有名人が馬鹿にする発言は幾つか見られるようになりました。けれども、それは「当たり前」にはなりません。あくまで「場を盛り上げるためのネタ」として受け取られています。

では、ファンは本当にアイドルから見て発言通りの存在なのかといえば、違うでしょう。そんなのは誰でもわかります。別にアイドルやファンと言わず、世の中で、人々の行う会話が全て本音であるはずがなく、また本音である必要もないのです。会話とはルールで、ルールとは「社会を円滑に動かすための方法」です。早い話が「うまく折り合いを付けて、お互いに楽しくやっていきましょうね」というのがルールであり、会話です。いちばんわかりやすいのは交通ルールでしょうか。道を譲るときは、譲れる側が譲り、難しいときは自信のある側がうまくやりくりして事故にならないようにする。コミュニケーションもそうです。アイドルとファンならば、アイドルの失言はファンが「脳内修正」とやらでやわらげて、ファンの暴走は明るみに出ない範囲でアイドルが誘導しながら、目に余る部分には注意する、そういう流れがありました。今も、私が知らないだけであると思います。思いますが、少なくとも私の目に付く範囲では、以前の形とはどうも違ってきているように思います。

アイドルはともかく、ファンは馬鹿になっている。この場合の馬鹿とは「知能が低い」ではなく「融通が利かない」という意味でです。今のファンはかなり融通が利きません。そのくせアイドルとファンの不文律であったものが崩れ、アイドルの言葉は「脳内修正」されるようになってきました。以前ならば「発言は絶対」で「失言が脳内修正」だったものが、です。

ひとつにはネット社会というか、マスコミ社会とでもいいましょうか。「自分たちはものを知っている」「発言する側だ」という意思の変化があります。こうした私のブログを見ても分かるとおり、ファンであるはずの人間が「こうに違いない」と、どの掲示板でもサイトでも、この手の人間を捜すのは簡単でしょう。むしろ、普通に楽しく話しているだけなのに、向こうから「いや、それは違う」と突っかかってくることすらありそうです。実際にアイドルの身内でもないのに「マスコミ化したファン」が幅をきかしている感じです。

もうひとつは、正反対の過剰な受け身の人が増えたことです。特にファンに。これは少し考えれば分かることなのに、マスコミ化したファンや、もっともらしいことをいう人の言葉をそのまま鵜呑みにしてしまい、そこで、考えることを止めてしまっているタイプです。ただ、ネットが当たり前にある現状では、これはある意味、しかたのないことです。情報化社会で考え続ける、それも趣味の範囲にまでとなってくると、そこまでできる人はもう一般人ではないでしょう。結果が伴うかどうかは別として、世間でいうところの「あいつは特別」ってレベルです。常に「こうだ」という情報の波の中で自分を見失わずに頭を使っているわけですから。大多数はそんなことを考えません。むしろ、趣味に広げているだけでもoverheatに近いです。それ以上の日常のことまで考え続けていたらただの偏屈な人です。バランスが大切なので、情報が多くなりすぎた現状では、考えることの比重はとても小さくなり、小さくならない人が一部の秀才です。

話を戻して、二つの理由のひとつがどうしようもないなら、残るひとつをどうにかするしかありません。とは言ってもマスコミ化したファンをどうにかできるものでしょうか。彼らにとっては断片的な情報から、想像ともいえない妄想で全体を聲高に叫ぶわけですから、こちらも対処のしようがないのかもしれません。

というわけで、アイドルは割り切りましょう。楽しめばいいのです。ファンが断片的な情報から自分の全体を想像するなら、こちらは自分のファンを想像すればいいのです。「私のファンは私にどういうところを求めているのだろう」と。そうすれば、これまで以上に自分のセールスポイントが分かってきます。また、それ以外の部分は切り捨てればいいのです。大丈夫、マスコミ化したファンが勝手にフォローしてくれます。そういう意味では、彼らも心強い味方にもなるのです。

見た目ひとつをとっても、チャームポイントなんて幾つもあります。仕事内容にしたって、幅を狭める必要はありません。「多才と器用貧乏」、「王道とマンネリ」、言葉なんて、言いたいように言えるものですから。

ひとつ注意があるとすれば、作らないことです。特に「私には個性が無いから、何か作らないと」は危ないです。自滅の一直線です。そもそも個性なんて、生まれた瞬間からあるのです。誰も隣の人とあなたを見間違えません。「人と違うことを言わなければ」と言うときはもう黄色信号です。そもそも、厳密にいえば、他人とまったく同じ事をいうほうが難しいです。

個性を伸ばすいい方法は「機会を増やすこと」「選択肢を増やすこと」。この二つです。逆をいえばこの二つ意外にありません。文字通りの意味で「心と心で繋がる」ができれば他にもあるでしょうが、そんなことは無理なので、この二つだけです。機会とは発言の場です。アニメ作品に多く出る、定期的なイベントがある声優の人気が維持できるのはひとえに「ファンと触れる機会が多いから」に他なりません。機会が多いということは、いろいろなものについて話せるということです。いろいろなものについて話せるということは、それだけ「あなた」という人間をファンに示せるということです。私が「仕事が来たとき、自分自身がどうしてもしたくないことでないなら、枠組みにとらわれずに何でもするべき」というのはそういう意味もあります。どこで自分の声を、自分という存在に触れる人がいるかもわからない。「好き嫌いか、興味が無い」のどちらかの前に触れる機会すらなければ、最初から「知らない(=興味が無い)」しかないわけです。二つ目の「選択肢を増やすこと」というのもそれです。本当なら自分を好きになってくれるかもしれないファンがいても、そのファンがあなたを「知らない」しか選べない状態にあれば、どうしようもないわけです。

他人があなたを好きになるかどうかは、他人が決めることです。その選択自体をどうにかすることはできません。でも、他人が決めることでも、その選択肢を増やすことは努力次第でできることもあります。ならば、その努力はしたほうがいいということです。選ぶのは他人なのだから、自分が望むものを選んでくれなかったときはしかたがありません。そればかりはどうしようもないので、ただ、最初から自分の望むものを相手の前に出さないことには選ぶ選ばない以前の問題だということです。

もっとも、その選択肢を増やすためにはどうすればいいのか、、、というのは、客商売を主にする職業すべての人の永遠の悩みなのですが。。。私はその方法のひとつに「好き嫌いをしない」があると信じています。
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2008年06月21日

声優について書いてあるサイト

インターネット上に声優に関する情報は噂も含めて「これでもか」というくらいにあちらこちらに飛び交っていますが声優業に関する情報は驚くくらいに少ない。その中で比較的信頼に足る情報源として、いまさらと思われそうですが安達成彦の「THE AQUARIUS STUDIO」をあげておく。
声優業に関しては「VOICE-ACTORS STUDIO」のコーナー。

http://drama21c.com/aquarius_s/

手のひらを返すようだけれども「信頼に足る」と書きながら、ここに書いてあることを鵜呑みにするのは危ない。「正しくない」からではなく「古い」という点で。古いという言い方すら誤りかも。そもそも声優業とひとくくりにできない。広くなってしまった職種なのだ。それもあまりにも急に、大きく。となると、誰も彼もが分かった風な顔をしながら初体験ばかりの道を自分を信じて歩いていくしかない。そんな状況にある。

それでも何も知らないよりは、こういうサイトはありがたい。過去を知ることができる。過去は今を生きるには、必ず役に立つとは言えない。それでも、「自分たちのいる場所の前はこういう風で、こういうことがあったのか」という知識は決して無駄にはならない。歴史や作品がそうであるように。

余談だが、歴史が好きな人は何かと世渡りがうまくなる。「歴史は繰り返す」な意味ではなく、「他人や自分を客観視し、想像できる」という点で。ここを見ている人の大半は学校の勉強と同じく、歴史と言われても嫌い以前に「興味が無い」人が多いと思うけれども、自分の好きな人や場所に関する昔話でもいいので、ちょいと興味を持って、騙されたと思って、ちょっくら読みあさって見てください。いいことありますよ。
ラベル:知識 声優
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2008年06月03日

発音

ひとえにファンのいう「演技がうまい」は「発音がうまい」になる。滑舌とイコールでないところが特徴。というと、教材として動画が浮かびそうだけど、実際には本のほうが役に立つ。もち、語彙や知識になる。ただ、ラジオでもなければ台本があるのだから、収録までにひととおり目を通して、知らない単語の意味と抑揚を考えるくらいは誰でも出来る。英文歌詞で人を魅了するように歌う歌手が英語を話せるかどうかが関係ないのと同じ。もちろん、話せるに越したことはないが、あくまで有利というだけ。英語が話せるから、英文を上手に歌えるかといえば歌えない。

元から下地のある人が有利なのは当然のことで、幸い、無い人でも時間をかければカバーできるのが抑揚。下地もなく、フォローもしなければ、抜けられないのは当たり前。
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2008年05月26日

海がきこえる

誰かひとりというよりも、全体的なバランスで声優に興味を抱いた作品。スタジオジブリの中でも宮崎さんも高畑さんも関わっていない珍しい作品で、原作も等身大の大学生ということで起伏がほとんど無く、ともすると退屈に感じてしまうかもしれない作品。けれども、今でも演劇や声優関係の仲間と会って、語り合うと私は必ずと言っていいほど、この作品を口にしてしまいます。飛田延男さん、坂本洋子さん、関俊彦さんを中心に、荒木香恵さん、緑川光さん、天野由梨さんと80年代、90年代には馴染み深いメンバーです。特に坂本洋子さんは80年代半ばからの舞台女優で、普段とは違う声優という仕事を前にしても「喜怒哀楽」を声だけで演じたすごい人です。結婚を機に事実上の引退をしてしまわれたのですが、いつまでも惜しまれる存在です。

他の方は90年代からの声優ファンにはかなり馴染みのある面々ですね。特に男性の三人は今で言う「鉄板」ってやつですし。ただ、このメンバーもこの作品では「方言を使う等身大の学生」という役柄のためか他の作品と比べると雰囲気が違います。雰囲気と言っても、別に声まで変わるというわけではなく、この辺りも声優特有のすごさを見せられる感じですね。声の使い分けで役柄を変えるのもすごいけれども、声を変えずに抑揚や口調だけで使い分けるというのは、特に男性声優ではあまり見られないことですし。このブログでは私に、語るほどの知識や経験が無いことから、男性声優の名前が挙がってきませんが、少しずつでも語っていけたらいいですね。挙げるとしても90年代半ばが中心になりそうですけどね。最近の子も少し気に掛けてみるようにするかな。

ちなみにおそらく、上からの指示でしょうけれども、これでもかというくらいに野暮ったさが求められた感じなので、その辺りの予備知識はあるほうが作品も声優の演技も楽しめます。

「海がきこえる」のファンサイト
http://homepage3.nifty.com/akinori_naka/
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posted by ささきー at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 声優/卵たちへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

一度きりの人生だから

声優になりなよ。
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2008年03月06日

声優と演劇

私は「演劇」を贔屓にしていますが、客観的に見たときに「演劇をしているから優れている」とは思いません。劇団に所属しているほとんどの声優は単純に「演劇が好きだから」「生活費のたしにするため」という理由だと推測できます。そもそも声優と演劇は根本的に違います。「演じる」というカテゴリでは同じですが、それではスポーツで「大きなボールを手で使う」でバスケットとバレーを同列で扱うようなものです。バレーとビーチバレーでは確かに転向した人もいますが、あれだって特別な例です。ましてや声優と演劇は使うものも違います。それでも私が推すのは「基礎体力」「腹式呼吸」「人との繋がり」があるからです。これらが声優に無いとは言いませんが、できていない人が多いのもまた事実です。前二つに関してはラジオや放送を聞くだけでわかってしまうレベルの人もいます。いい悪いではなく、アイドル声優の活動場所が「自分の表現」ではなく「アニメキャラクタの表現」であることを考えれば、必ずしも前者二つが必要で無い場合もあるでしょう。もしかするとそこを「いい」という人も多いかもしれない。声優ファン自体が自分の好きな声優のビジュアルを他の声優よりも絶対的に秀でていると叫ぶように、また「あの人はうまい」というのもあくまで自分の中に描くキャラクタ像と合っているかどうかだけで判断するように。そうだとするならば「好きでやってる」「金のためにやってる」人たちは割り切れるとしても、「表現者としての幅を広げたいがため」に演劇に属する声優はむしろマイナスになります。支持者がそれを望んでいないからです。彼らのいう「成長」とはあくまで「自分のわかる範囲での成長」であり、本当の意味での成長ではありません。半歩先の人間が輝き、数歩先の理解すらできない人間が変人と言われるように、支持者よりも明らかに成長していってしまえば、支持者にとって魅力的ではなくなってしまいます。まあ、実際には、それはそれで次のステップに進むだけなのですが、それを怖がる層があります。それがアイドル声優です。なぜならば「次のステップ」の確証が無いから。

となると、「好きでやっている」「金のために」「声優よりも演劇での認められている」でない、アイドル声優に対しては「演劇もやるといいよ」とは言えなくなってしまいます。私的には哀しいことですが。それでも演劇は、声優という枠組みの中で見たときに、確かに役には立たないかもしれないけれども、表現者として、また生きていく上では必ず役に立つ、と。まるで「学校の勉強」のように「できる位置にいる人はやっておけ」と言うくらいしかできなりました。

声優と演劇を推す私としては、墓穴を掘った感じです。何はともあれ、無駄にはなりません。学校の勉強もそうです。数学や物理の方程式や定理は確かに忘れるかもしれませんが、学生時代に頭がこんがらがるほどにほぐした連中は、その後、職場に入って新しいものを次々に理解しなければならないときに知識そのものではなく、理解の仕方として役に立ちます。

表現者にとっての演劇はそういうものだと思います。演劇そのものは役に立たないかもしれないけれども、全身でものを表現する術は、口だけで表現をするとき、文章で表現するときに、答えとしてではなく、過程の方法として役に立ってきます。だから、私は演劇を推したい。

もちろん、本業がいちばん大切です。本業をおろそかにして副業に熱心な人はどちらも大成しません。副業をより熱心にしたいのであれば、本業と副業をはっきりと入れ替えたほうが、その場は大変ですが、後々のためにはよいでしょう。
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2008年03月04日

卵たちへ・口の動かし方 その1 次未定

例によって、最初に長々とタイトルと関係ありそうで関係の無い話になっています。ちょっと長くなりすぎた気がするので、面倒な人は「----ここまで前置き、ここから本文----」まで飛んでください。時間のある人は全部読んでいこう。

後、この文章でいちばん役立つのは本文ではなく、追伸だと思います、はい。

小脳の働きは反復です。声質や話す内容ではなく口の動きに、またパソコンに関係していることでいえばタイピングに大きく影響してきます。突拍子も無い話に思えるでしょうが、時間のある人はしばらく読んでみてください。

タイピングの練習を日常的に行う人は自分がどのようにタイプをしているかを思い出してみてください。特に無差別な文字のタイプです。タイプウェルでいうところの「オリジナル」を。「無意識に」だけでなく「頭の中でカテゴライズ」していることがわかります。たとえば「ze99me024chrjc7k」と今文字列を出してみましたが、
「ゼットイーキューキューエムイーゼロニーヨンシーエイチアールジェーシーナナケー」ではなく、
「ゼククミートニシクルジクナク」です。もちろん人で違います。
タイプウェルで私よりも数ランク上の友達はこれを「ジェクメトシチュルジュナク」だけでした。もちろん短いからいいというわけでもないし、自分にさえわかればいいので、人によってはタイプは早いのに何行にも渡る文章だったり、一番短い人のだと「ゼットゼロジェー」と三文字をピックアップしただけで手の動きを選択していました。

上で言いたかったのは「指がどれだけ高速に動く人でも、頭で考えるよりも早く打てない」ということです。反射もまた目を通したあとの動きです。「目に文字列が入る」→「頭で整理し、どう打つか指示を送る」→「打つ」で、初めて文字を打っています。このときに「z」「e」「9」「9」と一文字で見ている人と、「ze99」をひとつの固まりとして「ジェク」と認識している人とでは約4倍もの差があります。指に伝わったときに同じ指で「z」「e」「9」「9」と四回上下するのと、別々の指で「ze9」で、「9」を連続し二回で打ってしまうのとでは2倍以上です。結果的にここだけで早い人と遅い人では8倍以上の差が出ます。そういうものがチリのようにつもったときに「考えるように打っている」と「手元を見ながら打っている」のように何十倍もの差すら出てしまいます。タイピングはむしろわかりやすい例で、日常の全ての動作がこの三連です。ですから、同じことをしていても、圧倒的に早いのと遅いの差が出ます。

----ここまで前置き、ここから本文----

話を戻して「差が出るから声に何の関係があるの?」ですが、口の動きです。タイピングはたとえば、極論を出せば「アウェアジョップ、awerjiop」があります。全て違う文字の担当で、私は「アウェ」と頭で読みますが、これが続けばアウェアウェで16のタイプが行えます。タッチタイピングを行わない人とこれだけで10以上の差が出るわけです。これは指が10本ある場合の話です。

口の動作は「上に開く」「斜め上に開く」「横に開く」「突き出す」「小さく閉じる」「きつく閉じる」「基本位置・定位置(閉じる、正確にはほんのわずかだけ開いている)」の7つです。さらに全てが相互に行える動きではないので、正確には一番変化の行えるときで「基本位置」からの6つです。その変換を早く行える人ほど口の動きに余裕が出てくるということです。

先にお断りをしないといけませんが、ここから先は本当は、こういうネット上で言うには「マイナスのほうが大きいかもしれない」内容になります。個人差があまりにも大きいからです。飲み込みがどうとかいう話ではなく、物理的な口の大きさ、形、歯並び、かみ合わせ、そういうレベルでの個人差です。「い」の形をしてください。口を横に引っ張る形です。その形を見るだけで「ある程度」のパターンがわかります。後に書く「パターンの省略可」のところで「この子は『あい』をしないほうがいいな」とか「普通は『うお』を避けたいけれど、この子には合うかな」っていうパターンのです。体の動きは本当に個人差のオンパレードです。逆をいえば自分に見合った動き方を探せた人が伸びてくるというものです。もちろん「王道」や「大半」や「典型的」というものはありますが、では、自分がそれでなかった場合、それでも貫くのでしょうか?私は勧めたくありません。これらが99%以上の精度とかでも勧めないのに、ぶっちゃけ世間を見ればわかるように「常識の常識」ですら8割もないんです。それどころか1割も同じ人がいれば常識と呼べる分野だってたくさんあります。私の話す「パターン化」はむしろ後者です。だから「少しでも違和感があれば止めてください」と、ここまでつきあわせて矛盾しそうですが、先に断っておきます。それほどデリケートで、でも身につけると心強い分野です。心強い割には認知はされていませんが(笑)。裏を返せば「便利な道具ほど使い方を誤ると危ない」と同じで、意地悪ではなく、むしろ良心から広めないのでしょう。

話を戻します。「あ」の口をしてみてください。さて、問題です。続けて文字を出すときに、いちばん早く発せられるのは「あいうえお」のどれでしょう。上でもいちおう答えに通じることを書いてきました。










答えは「あ」を除く、「いうえお」の四つのどれかです。いじわる問題というよりはサービス問題になりそうですが「い」「う」「え」「お」のどれを答えた人も正解です。「いちばん」と書いたのでこうなりましたが、ぶっちゃければ「ああ」だけが遅くて、他は個人差があるもののスムーズにいくってことです。「あー」は「ああ」ではありません。理由は「ああ」だけ、「あ」から次の文字へ直接に向かわないからです。無理に口を動かさずに声を出そうとすれば二度目の「あ」は弱々しくなってしまいます。まあ、どれも言うほどに差は出ないので神経質にならないでください。ちなみに口角の広い人だと「ああ」が一番だったり、最初と二度目の間に動作を挟まずに出せる人も確かにいます。後、訓練や個人差でも時間的にはわからないレベルにもなります。(と、こうしていちいち注釈をつけないといけないからこの分野はネットで語るにはややこしいのです。語弊も生みやすいですし)

だーっと書いていくと、私の文章はややこしいのが特徴なのに、さらにややこしくなりそうなので、今日はこの辺で。いちど整理してから書きます。

(「だったらこれも消していけ」とか言わないでえ)

あ。基本的には口は「閉じる→上唇の力を抜く」の状態がいいですよ。鼻呼吸にもなりますし。口からすぐに息も出せるようになります。やや湿っている人はコツを掴むのが大変ですが。私がそうでした(笑)。掴んじゃえばおけです。コツは「他人には閉じているように見える」ですかね。他人から見て「開いている」までいくと開きすぎだし、発声には関係ないけど見た目がバカっぽくも見える。それと「上唇」と書いたのは、下唇を下げる形で開いてほしくないからです。下唇で開こうとすると顎の力を抜きすぎてしまうので。まあ、「他人から閉じているように口をうっすらと開きながら閉じとけ」が言いたい追伸でした。
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2008年03月02日

2008年01月06日

同姓同名

年末年始の声優のいろんな過ごし方を見ているだけで楽しいものですが、その中でもいちばんアクティブなのがなっちゃんこと、桑谷夏子さんだろうと思います。今回は新潟の苗場に清水香里さんとスノボーに。

話は変わりますが、清水香里さんも同姓同名の有名な方が多いですよね。よく名前がかぶるとややこしいとかで避ける場合がありますが、私的には2年前に声優の清水愛さんの話をしたときに、演歌歌手で活動している同姓同名の方を知る機会がありました。なので「同姓同名って普段、自分が気にしないジャンルの人を知る機会になって良いのでは」と良いイメージがあります。同じジャンルの中だと、まともに被るので困りますが分野が違うと楽しそうです。

ふと気になり、その手のことを調べてみると、やはりというか同時期に活動している場合は異業種でも避けていることが多いみたいですね。特に今は垣根が無くなりつつありますから大変なのかな。

分野を飛び越えるというと、声優ならば水樹奈々さんや平野綾さんの歌手活動が頭に浮かびますね。特に平野綾さんの2007年はこれまでの声優の主な活動から考えると枠を飛び越えていたので、これからが楽しみですね。

ただ声優のお仕事を考えてみると、むしろこれまでが「言わなさすぎた」ような気がしないでもありません。「これから」ではなく、現時点で既に声優のお仕事はアニメだけでなく、かなり多岐に渡っています。けれども事務所の意向なのか、イメージなのか、いわゆるアニメ声優の人はほとんど言わないわけですね。もったいないと思います。難しいことは私にはよくわからないので「もったいない」は不適切かもしれません。でも、たまに小耳に挟んだりする内容を考えると「もっと自信を持って良いのでは」と思ってしまいます。

さて、偉そうな口調になったところで止めないと墓穴を掘るのが癖なので、この辺で。声優の皆さん、今年もふぁいと♪

今月21日に演歌歌手の清水愛さんのライブが三重県四日市であります。
「FULL HOUSE 1月津軽民謡DAY」
会場の「フルハウス」 http://sound.jp/yokkaichi-fullhouse/

桑谷夏子さんのブログ「なっちゃんの記録」
http://nk88725.btblog.jp/

清水香里さんの公式サイト「kaory club」
http://www.kaoryclub.com/

演歌歌手・清水愛さんの公式サイト
http://www16.plala.or.jp/ai-shimizu/
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2007年12月08日

声優「仲間」

個人の力量も大切だけれども、同じくらいに大切なもの。それが仲間。それは仕事仲間かもしれないし、学生時代の友達かもしれないし、道は違っても何かを目指す心の友かもしれませんが、仲間はとても心強いです。

気持ちは並のように上下に動きます。誰もが同じ高さではないけれども、下がったとき、周りにはわからなくてもどことなく気分が落ち着かないときがあります。そんなとき、仲間がいるとそれだけで元気が出てくることがあります。それは存在を確認するだけだったり、電話だったり、会うことだったり、泊まりがけで飲み明かすことだったり、形は様々ですが、驚くほどに元気が出ます。

必ずしも両思いである必要はありません。ぶっちゃければ故人でも二次元でも、それこそ人でなくても構いません。

理想をいえばキリがありませんが、親友か学生時代か卵か、ふ化したお仕事の知り合いになるのは「自立した存在」だからです。自分が元気なときにはシグナルを送ることができます。けれども弱ったときにはシグナルを送りにくいものです。少なくともその場で相手に送れるものが見あたらないからです。弱みを見せたくない人であれば、なおさらでしょう。そのときに仲間の元気に支えられるということはあるものです。持ちつ持たれつの関係ですね。

相手との距離が物理的(遠距離)・心理的(差のある後輩・年配)に離れている場合、もしくは仲間が実在しない者の場合は、あくまで自分自身からモーションをかけなければいけません。その際には普段から弱ったときでも、相手が遠距離であれば「連絡を取る手段」、後輩であれば「話しかけられる雰囲気」、年配には「認められる何か」、実在しなければ「それを思う時間」を持つような習慣をあらかじめ保ち続けている必要があります。もっとも、無理をしない自分でその関係が保てているのであれば、意識しなくても必要なものは備えているものなので、気にする必要はないのかもしれませんが。

どちらにしても「自分に負荷がかからない状態の自分」が付き合える相手であるべきです。「後輩と自分」の関係がわかりやすいですが、対面を気にして相談に乗ったりなどの付き合いだとします。調子が良ければ問題はありません。でも、調子を落としていると、自分に余裕が無いのに、さらに負担を背負い込むことになります。また実在しないもの、考えが自分の支えである場合は弱っているときでも頭にちらつくほどの強固なものである必要があります。

などを考えていくと、結局「自分に負荷がかからない状態の自分」が付き合いたいと思う対象を大切にしようということですね。月並みすぎることですが、たまに意識するくらいでも差が出ることなので、頭の片隅にでも。
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2007年12月05日

自分自身に「能力の点数」を付けない

大成するには努力が必要です。努力無しに大成はありません。そして、努力をしているのであれば、進むのみです。そのときに大切なのは「自分自身に能力の点数を付けない」ことです。もちろん、周りは雇う側からファンまで、それこそ自分の名を知る全員が何らかの評価を下されます。けれども、それはひとつの意見として、反省するところは反省して、良い悪いに関係なく、忘れてしまいましょう。

むしろ普段、自分自身が打ち込んでいるかなど、気持ちを確認することが大切だと思います。スポットが当たったときに、その変化に自分自身を見失わずに対応できるか。スポットが当たらないときに、いつもと変わらずに練習を続けることができるか。

というのも、最近、「間」がありません。「最初で注目を浴びなければ、それで終わり」みたいな風潮までありますが、だからと自分を崩すのは、回り回って考えてみると自分の望むようにはならないものです。自分自身の決めた目標に向かって、たとえ形からでも沿えていくのは良いですが、周りの評価のためだけに演じるのはひずみが来ます。

年配の方が「周りに感謝です」というのは、本人が偽っていない証拠です。自分がいちばん輝くやり方を貫き、周りも認めたから、誰かを照らし照らされ、ますます輝くし、ひずみもなく、息の長い人になるわけです。孤立するのが良くないというのはひとりの輝きはしれているからです。誰かを照らす人は、誰かが照らしてくれます。

人の評価を気にしすぎる人は、いちど何に対する評価なのかを考えてみると、見るべき評価なのか、形だけの評価なのかがわかります。
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2007年12月04日

声優へ「ブログの設定」

コメントは基本はOKで。書き込む人が増えてきても特に気にせず。荒れたらコメントを禁止にする。ちなみにそれを言う言わないにルールは無いので、言いたく無い人はコメントをさりげなく無くすだけで良いです。

好循環のときは人が多いほど雰囲気が良くなりますから、ブログを作った最初から禁止にする必要はまったくありません。後「0」で「見た目が良くない」で消す人もいますが、それは反応も見えなくなるので、一般的にはお勧めしません。個々の性格で「人目が気になるとダメ」なタイプの人だけ禁止で、後は「0」でも初期設定のままで問題ありません。何がキッカケで書いてくれるようになるかもわかりませんし。

ブログをする上で、実は難しいのがコメントよりもトラックバックです。基本、コメントは悪用する理由がほとんどありませんが、トラックバックはアクセス数に利用したり、集客に使ったりと、まったく「無関係の人」が無差別に狙ってくるからです。声優関係も最近は狙われていて、幾つかのブログで「明らかにファンではない人」からのトラックバックが目立ちます。

いきなり禁止とは言いません。五分くらいを使って、ブログを作る際に「記事投稿」などと同じ並びにあるであろう「コメント/トラックバック」をクリックして、見るのも嫌かもしれませんが「エッチ」だったりするものを「このIPを禁止」などを押しましょう。いちどに全部をしようとするからややこしいだけで、文章を作るときに「上から三個」とか決めて削除して流れ作業のひとつにすると楽です。

効率が良いのは「特定ワードを禁止」などですが、たぶん、ほとんどの声優はこのワードを考えたり、打ち込むのが嫌だと思います。ただ、特定ワードがはっきりしていれば、エッチなものなどかなりの確率ではじけるので、お勧めです。

「ややこしいのは嫌だ」と思う人は方針を決めましょう。「トラックバックは放置する」か「禁止する」かです。いちど自分のブログのコメントを開いてみて、記事とコメントの間にあるトラックバックがエッチなもののみで埋められていたら、設定をするか、上の二択かを選びましょう。作る側が「よくわからないし面倒だ」と思うのと同じで、見る側の何割かも「よくわからないけれど、好きな声優のブログだから見ている」で、中にはそういうトラックバックを何も考えずに踏む人もいます。まあ、自己責任なので、その踏むファンが悪いと言い切ればそれまでですが、最初に10分、ブログの方針を決めるくらいはしても良いと思います。はい、この記事を見た人は今から10分、方針を決めましょう。「設定を試みる」か「放置する」か「禁止する」の三択です。

ま、ぶっちゃけ、「自分のペース」がいちばんです。インターネットは事例が無いばかりか例外も多いので、何かが起こる前から「こうなったらどうしよう」と考えるとノイローゼになります。それよりは「何が起きてもこうする」という方向性だけを決めて、何もしないのがいちばんだったりします。つまり、トラックバックで言えば何も考えずに、たまにトラックバックを見て問題があれば「どうするか」を決めておくのです。そうすれば、まず問題の大半は片付きます。

声優に限ることではなく、有名人全般に言えることですね。

これからも声優のブログは増えるだろうから、いっそのこと、事務所か、ブログサイトそのものが一般向けだけではなく「有名人向けのガイドライン」でも作ってくれるとありがたいのですけれどもね。

作る側も見る側も楽しく利用したいですし。
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2007年11月29日

バカに見えるだけの人と、本当のバカ #2 後半 END

私的には基本、高卒程度の学力すら無い人は養成所の段階で弾くべきだと思います。ものすごく失礼な言い方をするのであれば「演じるしか脳が無いなら声優ではない他のジャンルに進め」です。弁解になりますがこれはこれで褒め言葉です。人間「俺にはこれしかない」と言い切れるのは天才か秀才だけです。どちらもプロになるべくして生きているような人たちですから。ただ「声優」に関して言えば「ただ演じるだけ」には向いていない職業です。むしろオールラウンドプレイヤーが求められる「ひとつを極めるよりも器用にこなすタイプ」に向いている職業です。もちろん極端な話なので「声優しかない」と思えばどんなタイプでも挑戦すれば良いと思います。人生は自己責任ですから。「タイプが違うから止めよう」ってくらいなら止めたほうがむしろ幸せになれるでしょう。

くどくどと言うのは声優自身に「どうせ自分は馬鹿だから」と開き直る人がいるということです。知識面からだけの学力で馬鹿なのが悪いわけではありません。少なくともその人は「そのマイナスを補うだけのプラスで認められたプロ」だからです。ただ、後に続く人や、周りを取り巻く人に対して「そのようにヘラヘラするのはどうよ?」と思うわけです。

それは自らの首を絞める行為です。少なくともマイナスをマイナスで通すなら、それを覆しうるプラスを見せるべきです。そこまでして初めて周りに対する対面が取り繕えます。使う側とまともな会話ができない状態で待遇が悪いとぼやくのは滑稽です。

相手に利益をもたせて、自らの利益も勝ち取る。基礎体力が健康をもたらすように、基本的な努力と礼儀から基本的な立場にたどり着けます。それを怠って権利だけを主張するのは滑稽です。本来はそれができるからこそ「プロ」と言われるわけです。形だけのプロの待遇が落ちるのは、むしろ当然です。

平等というのは等しい仕事をした者に与えられる特権であり、努力した者と怠けた者を等しく扱う言葉ではありません。

漢字や言葉が苦手ならば、頭に入れるか、間違えても聴いている人がそれを忘れるくらいの話をすることです。私的には頭に入れてもらいたいし、入れることで大げさですが世界が広がるということはあります。また後者にしてもコツは自分の体験談を話すことです。

変に世間や知識の話をするからボロが出るわけで、それならば最初から割り切り「自分に結びつけて話す」のがいちばんです。会話のうまい人は、聞き上手であると同時に、自分の番で相手の話に関連づけません。ぶつ切りのように自分の話を始めます。だからボロが出ないし、ボロが出ないから相手も楽しく聴けます。

相手の話をさらに発展させられるのであれば、それにこしたことはありませんが、無理に相手の話を引きずる必要など実は無く、ぶっちゃけ「うん。あんたの話はおもしろかった。ここからは私の話」くらいでその場に二人いるのであれば、できないキャッチボールよりも、ひとりひとりの楽しそうな遠投をするくらいで良いと思います。

「何でも器用にこなす人」は別に全てに長けているわけではなく「自分のできる範囲を素直に出せる人」です。だから本当は優れていなくても、劣っているようにも見えないのです。うまく立ち回れとはいいませんが、自分から「どうせ」と何もしないのはいちファンとしていただけません。

話はここまで。とりあえず、私の文章は否定的な意見が多いことに今更ながらに気付きました。これからは肯定的な言葉を使うと同時に肯定的な見方をしていきたいと思います。否定文は読み直すことすら面倒だね。うん。
posted by ささきー at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 声優/卵たちへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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